村上建築工房には、優秀な職人がたくさんいます。また、優秀な大工を輩出している工務店としても、名が知られつつあります。
椎野 泰生(Yasuo SHIINO)
村上建築工房に来る前は東京で10年木造・RC造・S造と多岐に渡る構造体で大工工事をしてきた。そのことは今でも役立っている。その中で木構造に興味を持ち、宮城県で木組みの家を造る工務店で住宅を造りながら墨付け・刻みを学んだ。 宮城での経験を元に、さらに違う経験を積み上げるため木造に力をいれている村上建築工房に入社した。 大工技術に偏りがちだった自分の考え方がここで働くことで、広くものを造ることに考えが向き、それによって大工技術も、より向上していると感じている。
村上
うちのエースと言えますね。人の話をメモを取りながらきちんと聞き、それに対してよく考え対応します。僕のようないい加減さががないと思います。(村上)
施工責任者として担当した物件
鈴木 武士(Takeshi SUZUKI)
大工になって40年、からくりの家にあこがれて職人の世界に入りました。土台のない泥壁の昔の家から始まり、化粧の家ばかり建てていました。小屋組みは松丸太が多かったです。 自分は物を作るのが大好きです。今の家はボード張りが多く見られます。村上建築工房は見えるところにたくさん木を使うので、家をつくる楽しみがあります。 今後は、若い人に昔の技術をいろいろと教えていきたいと思います。 一番は完成した時のお施主さんの笑顔です。
こども園や中学校体育館の現場で一緒になり、一年前ほど前から仕事をすることが多くなりました。大規模公共工事のなかで、約15人の職人が働いていましたが、その中でもひときわ光る動きと仕事をしていました。
その後、何度かうちに手伝いに来てもらっているうちに定着して働くようになりました
嶋根琢也(Takuya SHIMANE)
私には右手と左手があります。
どちらかというと左手を好んで良く使います。
その事象のことを人は“ぎっちょ”と呼びます。
“木をちょんぎる人”という江戸時代の言い回しが語源だそうです。
嘘です。
左利きにとって、都合の悪いことは良くあります。
そのたびに、不満を述べるほど、私は人生に退屈はしていません。
私が反転するか、世界を反転させれば良いのです。簡単な話です。
むしろ大事なのは不器用な右手の“支え”だったりします。
で、何の話でしたっけ?
つまり、私はそういう者です。
菊池 裕斗(Yuto Kikuchi)
大学の建築学科(木造の構造系研究室)を卒業して、2021年4月から村上建築工房で大工修行をしています。 単純に、木と道具と自分がいて、それで家を作れてしまう昔ながらの大工はカッコいいなと思い、日々頭と体を使って汗流して仕事をする、自分にはこれしかないと、とてもわくわくしながら門をたたきました。見習いとして一年、確かに自分の中に蓄積されているものを感じて嬉しくなりますが、まだまだ日々力不足を感じたり、学びは尽きません。 自分と向き合い、とことん大工修行や好きなものづくりに明け暮れるには最高の環境、親方、兄弟子に囲まれていることに感謝して、これからも色んな経験を積んでいきたいと思います。
林 稜梧(Ryogo Hayashi)
ciao!ということで、2023年度から村上建築工房でお世話になっています、林稜梧です! 大学では設計・デザインを学びましたが、実際に作ることを経験させてもらった時に、これだ!と思い、大工を志しました。 しかし実は、小さい頃テレビで見た、鑿を玄翁でカンカンカンと叩き、綺麗な住宅を作る大工さんに憧れて、人生で最初の夢は大工さんでした。 初心に戻ったというか、今その夢の大工仕事をやらせてもらっています。 あの頃夢みた大工、現実も夢と同じくらい、いやそれ以上に楽しく、やりがいや成長を感じ、充実した毎日を過ごしています。 また、仕事だけではなく、プライベートも含めた日々の出来事からよく感じ、よく考え、よく学び、丁寧な仕事と暮らしを心掛けていきたいです。 そして!一人前の大工に向かって、様々な事を経験して、自分の武器となる尖った何かをトキントキンに磨きつつ、寄り道もしながら、全力で突っ走ります。
森田 久雄(Hisao MORITA)
現在も大工として40年以上働く。高度成長期の建設ラッシュを職人として経験した。村上建築工房に来て、公共工事や社寺建築にも関わり、仕事内容の幅が広がった。今後さらに若者と一緒に働きながら、若者が知らない手道具の扱い方や現場での経験を伝えたい。
元スタッフ
総合建築 植田 植田 俊司(Shunji UEDA)
植田さんは 僕とは「いとこ弟子」の関係。互いの親方同士が 「兄弟弟子」だからです。 僕が独立して2年ほど経ったころ まだ一人で大工をしていた時に、年季のあけた彼が 淡路島から働きに来てくれた。 一年半の在籍後、風基建設で大工として技術を磨き、故郷の淡路島に戻りました。○○チャンピオンに一緒に出場したのも思い出。
施工責任者として担当した物件
中佐久間の家 設計:日影良孝建築アトリエ 田園調布の二世帯住宅 設計:村上建築工房
建築集団 海賊 高柳 鉄平(Teppei TAKAYANAGI)
象設計集団勤務後、村建の門をたたく。とにかくサッカーが上手く、草サッカー大会では「Jリーガーくずれ」の大工がいるらしいと噂になったほど。 2年間の在籍の後、仲間と「建築集団海賊」をスタート。今でも一緒に仕事することが多い。
施工責任者として担当した物件
鹿島のリフォーム
設計:象設計集団
館山の家 離れ
設計:村上建築工房 高柳鉄平
もくれん製作所 伊藤 央(Akira ITO)
建築学科大学院を卒業し、現場管理経験後に村上建築工房に入社。6年の在籍期間に、大工としての一通りの仕事ができるようになって独立した。今は、一級建築士も取得。 話好きで、村上建築工房のムードメーカ的存在だったと思う。現在は東京都町田市で活躍中。
担当物件
鴨川の家
設計:村上建築工房 伊藤央
施工責任者(棟梁):伊藤央
クリフハウス
設計:村上建築工房 伊藤央
施工責任者(棟梁):伊藤央
長谷川 康孝(Yasutaka HASEGAWA)
設計事務所で働いていたときは、大規模建築が多かったせいか、施工と一体になっての、ものつくりがないように感じていた。 施工についての知識もないことで、施工者には相手にされず、図面上の責任や問題が起きたときの所在ばかり言われていたように思う。 設計は職人さんから現場を教わったり、施工と一緒になってものをつくっていくものだったと聞かされていたが、そのような場面に会う機会が少なかったように思う。大工になって実際に自分が施工することになれば、設計と施工が一体になって施主さんや色々な職人さんと一緒になってものつくりができるようになると考えて村上建築工房に入社した。 そして、どう感じたか。 理想とはかけ離れ現実はとても厳しく、職人の一人になるということが難しいと痛感。 仕事ができる親方や先輩に混じって仕事をするにあたって、その日、自分に何ができるか、全体の工事に対してどの段階にいるのか、自分が行える技術でどのように行うか。やり遂げなければならないこと、品質など、考えること・時間と現実が常に迫ってきて、大きな理想が妄想なのだと気づかされた。 それでも設計事務所の仕事や自社の設計施工の現場を管理や施工をさせてもらう機会を与えてもらい、施工の立場から設計者と話合いながら仕事をし、自社の設計施工の現場でお客さんと直接話ながら、仕事をすることで、妄想でない理想を少しずつ描いて生きたいと思っている。
長谷川さん、ムラケンを卒業、独立しました!
話しやすい人柄で、お施主さん・設計士・職人からひっきりなしに電話がかかってきました。僕に電話すべき時でも、まず彼に連絡を取り、様子を見る人が多かったです。
施工責任者として担当した物件
小川 敬史(Takashi OGAWA)
元システムエンジニア。38歳の時、自宅をセルフビルド。その後、建築デザインの大学へ入学・卒業し、二級建築士免許を取得。設計から施工までできる建築設計ビルダーになるために村上建築工房に入社。 10年前の私は、まさか大工になるとは思ってもいなかった。ただ、実家は「宮大工が釘一本使わずに建てた家だよ」と小さい頃から祖父母に聞かされていたためか、宮大工への尊敬・興味があった。 些細な施工の違いが仕上がりの違いを生む面白さを感じながら、親方や兄弟子から宮大工の基本を学んでいる。墨付け・手刻み、設計など新しいことを学び、身につけて行きたい。
小川さん、独立しました!
同じ南房総でがんばってます。
番外
親方 江戸 保(Tamotsu EDO)
僕が大学4年生のとき、左官職人の久住章さんに「大工になりたい」と相談した。「ええとこの工務店は一人前になるのに時間がかかるでぇ~。1対1で習うんが、早ようおぼえれる。」と久住さんに言われ紹介されたのが、江戸の親方。 頭がよく仕事のできる親方で、よく叱る人でした。一日5~6回は叱られていたので、6年の修業中に1万回以上は叱られていたように思います。社寺、茶室まで 自分で本を読んだり、ほかの大工の現場を見に行き、良いとこを真似したりいつも 仕事のことを考えているスーパー大工です。